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頑固な自分を変え、仕事と人生の教訓を教えてくれる寓話集「ものの見方が変わる座右の寓話」

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私は面倒な生き物です。困ったときは人の助言がほしいくせに、いざ助言を貰えば素直に聞けなくなる。そんなことだから、自分を変えたくてもなかなか変われず、変われないから視野の狭い自分のままであり、日々不満を募らせています。

そんな自分が誰の言葉だったら変われるでしょう?

それはやっぱり、自分の言葉です。他人の言葉を聞かなくても、自分の言葉は聞きます。でも、「今までの自分の言葉」では自分を変えることができません。

ならば、「今までの自分の言葉」はどんな時に変えることができるでしょう?

それは、良い物語・教訓からの気づきによって変わります。

そんな良い物語・教訓はどこにあるのでしょう?

実はここにあります。久々に夢中になって読み込んでしまいました。
ものの見方が変わる 座右の寓話」です。

 

 

寓話には、ものの見方を変える力がある

著者:戸田智弘氏の解釈に衝撃を受ける

いつものように、本屋でウロウロと本を探していた時のことです。偶然目に飛びこんできたのが、本書のタイトル「ものの見方が変わる 座右の寓話」。

「ものの見方が変わる」は、このブログのテーマであるリフレームと同じ意味の言葉ですので、気になって手に取りました。

最初の一話は、「六人の盲人と象」の話です。本書から引用します。

ある日、六人の盲人が象を触ってその正体を突き止めようとした。
一人目の盲人は象の鼻に触り、「象とはヘビのようなものだ」と言った。
二人目の盲人は象の耳に触り、「象とはうちわのようなものだ」と言った。
三人目の盲人は象の足に触り、「象とは木の幹のようなものだ」と言った。
四人目の盲人は象の胴体に触り、「象とは壁のようなものだ」と言った。
五人目の盲人は象のしっぽに触り、「象とはロープのようなものだ」と言った。
六人目の盲人は象の牙に触り、「象とは槍のようなものだ」と言った。
それから、六人の盲人たちは長いこと大声で言い争い、それぞれが自分の意見を譲らなかった。

このような話ですが、どんな教訓を得ることができるでしょうか。

例えば「物事や人物の一部分だけを理解して、それが物事や人物のすべてだと錯覚してはいけない。」と言われたら、「なるほど!」と思われるかと思います。最初、私は単純にそのような気づきを得ました。

しかし、続けて読んでいると著者の戸田智弘氏の、次の言葉に衝撃を受けました。

実はこの寓話、もう一つの解釈が可能である。
~(中略)~
真実を表現する方法が異なっているだけであり、真実が異なっているわけではないということだ。
~(中略)~
この寓話は、異なる信念を持つ者たちが互いを尊重して共存するための原則を示しているといえないだろうか。

はい、購入決定!

この解釈、私にはまったく頭に浮かびませんでした。目から鱗とはこういうことを言うのです。私に即効でこの本の購入を決定させる価値ある言葉です。

これこそ、「今までの自分の言葉」を変えることができる良い物語・教訓です。

良い物語・教訓から気づきを得て、自分に悟らせることこそ、少しずつ自分を変えていく力になるのだと思います。今までの自分になかった観点を持つことが人生においてどれほど大切であるか、無駄に歳を重ねてしまった私にはわかります。

著者:戸田智弘氏のブログはコチラです icon-hand-o-down

ライター&キャリアカウンセラー【戸田智弘のブログ】
戸田智弘のブログ - 戸田智弘のブログ

ものの見方を変える77の寓話

どんな寓話の教訓が心に沁みるのか

この本には全部で77の寓話があり、各章で以下のようなテーマがあり、そのテーマに沿った寓話が紹介されてます。

第1章 視点と視野と視座
第2章 幅広い認識としなやかな思考
第3章 思慮深さと正しい判断
第4章 聡明さと創造的な仕事
第5章 強い組織の精神
第6章 働く姿勢と働く意味
第7章 正義の心と共同体
第8章 科学技術と社会の関わり
第9章 人生の道理と「有り難う」
第10章 欲望との付き合い方
第11章 学びの心得と学ぶ理由
第12章 挑戦と持続可能性
第13章 自分の物語の描き方
第14章 生と死のつながり
第15章 どんなときでも「ものは考えよう」

今、自分に沁みるのがどんな寓話であるかは、その時の置かれた状況で全然変わってくると思います。実際、妻にも読んでもらいましたが、私とは全然違う寓話が心に沁みてました。

悪者ぞろいの家という寓話を読み気づく、私の失敗

例えば私の場合、No23の「悪者ぞろいの家」は、刀で真っ二つに切られたような、でも痛くなく爽快な気分になりました。
私の要約になりますが、「悪者ぞろいの家」は、次のような話です。

7人家族と3人家族が隣同士で住んでいた。
7人家族は仲睦まじく、3人家族は仲が悪く争いごとばかり。
そこで3人家族の主人は、7人家族の主人に質問する。
「どうしてそんなに仲良く暮らせるのか」
すると7人家族の主人はこう答える。
「うちは悪者ばかりの寄り合いで、お宅は善い人ばかりの集まりだからだ」
「どういうわけです?」
「たとえば、我が家は火鉢が転んでも、茶碗が割れても皆が『私が悪かった』と悪者になる競争をするから、喧嘩が起こりようがないのです。しかし、お宅は反対で、皆が善い人になろうと『俺は知らぬ、貴様が悪い』となすり合いをするのでしょう。だから喧嘩が絶えることがありません」
こう言われて、3人家族の主人は合点し、目を覚ました。
それ以来、互いに譲り合うことに勤め、円満な家庭になった。

そして、この話の著者の考察を引用します。

この寓話を、家族の話ではなく会社という組織の話に置き換えてみよう。自責思考の人が集まった組織は問題に対してみなが当事者意識を持つので強い。一方、他責思考の人が集まるとみなが問題を他人事としてとらえるので、組織として弱いといえるだろう。

どうでしょう、私と同じようにスカっとした気分になりましたか?

例えば、職場で自分が正しく相手が悪いのにも関わらず、相手を批判したら何故か自分の評価が下がり、その上、人間性に問題があると指摘されたなどの苦い経験がありませんか? きっと、ご経験がある方もいらっしゃると思います。

実は私の人生が、その苦い経験の連続です。でもやっとわかりました。私は『自分が善い人』でいようとしたからいけなかったのです。これからは職場で、「自分は正しい」と言うのはやめ、「自分の責任だ」と言うことにします。

ものの見方が変わる座右の寓話:まとめ

寓話を読み、人生におけるものの見方を変えるきっかけにしよう

寓話だけでなく、著者の考察からも気づきを得ることが、二重の楽しみになっています。

読む人によっては、著者の考察がいらないという人もいるかもしれません。それは好みの問題かと思いますが、私は、著者の考えに触れることが読書の楽しみであると考えているので楽しめました。

同時に前述したように自分の改善すべき行動や考えに気づかされたのは、さすが寓話の力です。多分、人から助言されても自分を変えないでしょうから、寓話・物語の力は偉大です。人生におけるものの見方が変わるきっかけになります。

「人の愚痴や悩みに同調して同じように愚痴ったり悩んでばかりで成長しない自分」「人の愚痴や悩みを聴いて寓話を使いながら解決のヒントを与えてあげることができる自分」

どっちの自分でいたいか? その答えは決まってます。考えるまでもないことです。

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