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自分探しに意味はなし「自分なくし」でやりたいことを創ろう!

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自分のやりたいことをやれている人なんて少数派でしょう。それは当たり前のことで、自分が選択したとおりの人生を歩めている人なんてそう多くはいないからです。自分は何のために生まれてきたのか。自分のやりたいことはなにか。そう考えて、自分探しを続けることもあるでしょう。しかし自分探しに意味はあるのでしょうか。

私も、現状に不満はあります。しかし、不便ではないせいか、一体、何が気にいらないのかさえ、自分でもよくわかっていません。それが自分がないということでしょう。だからこそ、自分探しの旅でもするかと考えたこともありますが、何処に旅すれば自分が見つかるかわかりません。考えるだけ馬鹿げていて、すぐに考えを引っ込めました。

もっと現実的に自分探しするなら、すでに「自分を見つけている人」の考え方や行動を真似してみるのが一番です。私にとって、自分を見つけている人と言われてすぐに思いくのは誰かと言えばこの方「みうらじゅん」さんです。私の場合はこの方です。

今回はみうらじゅん著の「ない仕事」の作り方を読み、自分探しについて学んだことを書きたいと思います。

「ない仕事」の作り方

努力は無駄か?

私のみうらじゅん氏対するイメージは「好きなことを仕事にできる人の代表者」です。「どうやったらみうら氏のように生きられるのか?」そんな自問をしながら、本書を読んでいると気になる言葉がいくつかありました。

「自分を洗脳」して「無駄な努力」をしなければなりません。私はよく「努力が似合わない」など思われがちですが、どっこい「無駄な努力家」なのです。

その一つが「無駄な努力家」です。なかなか意味あり気な深い言葉です。このみうら氏の独特の感性をいかに自分のものにできるかが、この本との付き合い方のようです。

多くの人は無駄なことをしたくないのです。しかし、自分の人生を楽しんでいる人は、そうでない人から見ると無駄だと思うことをずっと続けているのです。

何か自分の行動について、数や量をこなすとき、中途半端に終わらせたら無駄、ずっと続けたらプロなんだと思います。いい歳してやっとそのことに気づけたのです。野球で例えるなら、素振りも中途半端な数で止めたら無駄かもしれないけれど、プロはずっと数えきれないくらい続けているのですよね。

ですから、「無駄な努力家」というのはプロのことなのです。

自分ありきじゃない!自分なくしなのだ

もう一つの深い言葉、それは「自分なくし」です。本書のまえがきから引用します。

どんな仕事であれ、「やりたいこと」と「やらねばならぬこと」の間で葛藤することが多いと思われます。
それは私も同じです。
そこで肝心なのは、そのときに「自分ありき」ではなくて、「自分をなくす」ほど、我を忘れて夢中になって取り組んでみることです。
新しいことはそこから生まれます。

誰だってやりたいことをやっていれば、夢中になれるのはわかっております。そのやりたいことがわからないから、自分探しするのです。しかし、みうらじゅん氏は、自分をなくして夢中になれば新しいことが生まれると言っています。

やりたいことは作れるということでしょうか。ならば、この視点は目から鱗です。

みうら氏のこの文脈は、やりたいことをやりなさいではなく、どちらかと言うと「やっていること」があるなら夢中になるほどやれと言ってると私は捉えておりますので、「今やっていることがやりたいことでなくても、自分をなくして夢中になってやっていれば、やりたいことになってしまう」と理解しました。

人によって解釈がわかれる文脈かもしれませんが、考えたこともなかったです。自分のやりたいことを作るなんて。

それが自分探しが終わらない理由だったのか!

たしかに、何か興味あることをやっていても、どこかブレーキかけていました。「お金が無駄になるかも」「時間が無駄になるかも」といった理由です。それでは中途半端に終わって当然なのです。

結局、やりたいことがないだの、自分探しなど、モヤモヤしているのは自分が悪いだけなのです。自分の好きなこと、やりたいことをしている人は、無駄な努力をガンガンして、お金も時間も関係なく、採算度外視でぶっこんでいるのです。

自分探しが終わらない理由、それは「無駄な努力」も「自分なくし」もしない、何事も中途半端だった自分が原因なのです。ここでいう「自分なくし」の域まで達するまで難しいことですが、意味のない自分探しをやめるためにも「自分なくし」にチャレンジする価値あると思います。

ネーミングで自分の世界観を表現しよう

では仮に興味があることを見つけたとしたら、ただ自分なくしで夢中になればいいだけでしょうか。趣味ならそれでいいですが、ビジネスにしたい場合はどうなのでしょう。

そこもヒントになる言葉がありました。

私の「ない仕事」の出発点はここにあります。
まず、名称もジャンルもないものを見つける。そしてそれが気になったら、そこに名称とジャンルを与えるのです。

「見つける」「好きになる」の次は、それを世に広めていくわけですが、その前に大事なことは、ネーミングです。
その事象になんと名前をつけるのか。ここでは、そんな例をいくつか紹介していきましょう

なるほど、ネーミングですか・・・自分の言葉で創って、自分の世界感を表現するってことでしょうか。

例えば、みうら氏がネーミングしたものと言えば、こんなものがありますね。

ゆるいキャラクター・・・ゆるキャラ
いやな土産物・・・いやげ物
とんまなまつり・・・とんまつり

もし自分がみうら氏と同じものを見て、上のようにネーミングできたかと言えばできないと思います。これらの言葉はみうら氏の世界観から生まれたものだからです。しかし、ここで大事なことは、みうら氏のようにネーミングできるかではなく、自分で名前をつけて自分の世界観を表現することができるかなのです。

そして、自分の世界観を自分の言葉などで表現できたときが、やりたいことをやっているときなのでしょう。

「ない仕事」の作り方:まとめ

自分探しは終わり、これからは自分なくし

自分探しを終わらせ、やりたいことを見つけるにはどうしたらよいか。

それは、「無駄な努力する」「自分なくしをする」「自分でネーミングし表現する」ことだとわかりました。こうして、これらの言葉を眺めてみると、1つの言葉が浮かびます。それは、「本気」という言葉です。

やりたいことを見つけようとして悩むくらいなら、今やっていることに本気で取り組む。本気でやれば、今やっていることがやりたいことになる。人生は、単純にそういうことなのかもしれません。

「自分が今までやってきたことで、本気で取り組んだことがあったか?」その問いには、答えられないならチャンスですね。これから答えられるよう「自分なくし」をしてみるのもありではないでしょうか。

自分探し、やりたいこと探しをして、悩んでいても、時間が勿体なくて意味がないのですね。それよりも、今やっていること、あるいは、今までやっていたことで好きなことに本気で取り組むことの方がよい気がします。本気になれば今まで気がつかなかったことに気づいて道が開けるかもしれませんしね。なければ、みうらじゅんさんのように創るのもよし。

自分探しの旅はやめることにして、普通に行きたいところに行きましょう。

 

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