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真の「人を育てる人」伝説の教師から学ぶ「人を育てる意味と心構え」

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人を育てるのは難しいもの。子供が生まれ、人の親になった私にとって、「どう育てれば人を育てたと言えるのか?」という問いの答えは、ずっと見つかりませんでした。
どんな人であっても、何かしら誰に教えたり、育てたりという役割を担うことはあると思います。例えば、親である私は子どもを育てています。しかし、人を育てていると言えるレベルなのかはいつも疑問に思っています。また、職場にいけば仕事を教える立場になることもあります。仕事ができない人に対してイライラしてしながらの教え方が、人を育てるレベルと言えるのでしょうか。

結局、今までの私の「何かを教えていた」は、「人を育ててる」と言えるのかどうか、甘党の私が激甘に自己評価しても、合格点はあげれないなと思うのです。

ニュースを読めば、人や社会の嫌な部分が見えてきます。自分の利益ばかり考えている政治家・官僚たちしかり、いじめを放置し気づかないふりしている教師しかり。今までの教育を疑うような出来事ばかりです。
そんな世の中だからこそ、人や社会の良い部分の方が目立つ世の中にしていくために、「人を育てるということは、どういうことなのか? どんな心構えが必要なのか?」、教える側の人を育てる力を問われている気がするのです。

私の教えるはどんな心がまえが足りなかったのか、本書の徳永康起先生から学べたことを書きたいと思います。

 

 

人を育てる道

人を育てる難しさ、私には何が足りないのか?

以前の記事で、私の教え方のまずさを書いたことがありました。

そのとき私の何がいけなかったのかは、成人発達理論という学びの中に答えがありました。
人の能力の成長は、「人・課題・環境」の要素を加味してトレニーングする必要があるため、人だけにフォーカスしても、うまくいかないのです。従って、「人・課題・環境」に注意をくばり、ほどよい変動性を与えることができれば、相手に対してよい教育ができると思います。実際に、そういう心構えがあるリーダーの職場でしたら働きがいがあるでしょう。

しかし、成人発達理論を武器に教育したとしても「人を育てる」と言えるレベルかいうと、やはり何かが足りない気がするのです。

どういうことかと言いますと、ヒントなるのがカリスマ教師の原田隆史先生の存在です。以前、下記の記事で、経済的に問題を抱えているご家庭の姉弟の話を紹介させていただきました。リンク先の記事の中断の引用文をお読みいただけるとわかると思います。

読まれてみていかがでしたでしょうか。この姉のような芯ある人を育てることこそ、人を育てると言えるのではないかと私は思うのです。

普通の教育と、人を育てるというレベルの教育には、どんな違いがあるのか。

少なくとも、人を育てるレベルの教育ができる教師やリーダーの特徴は「与える人」であることが多いと思われます。しかし、「与える人」であることがわかっているにもかかわらず、私が「与える人」になれないのは何故なのか、私なりに与えている人になったつもりなのに、失敗しているのは何故なのか、理由がわかりません。だからこそ、私は人を育てるのが下手な人なのです。こんなでは、娘に対しても申し訳ないです。

私が与える人になれないのは、経済的に余裕がないからなのでしょうか、覚悟が足りないからなのでしょうか、自分勝手だからなのでしょうか、それとも別の何かが足りないのでしょうか。あるいは、私にはなつかしむ教師も恩師がいませんから、そのせいで乾いた人になったのでしょうか。

たとえそうだとしても、グレてもいませんし、普通に働いて納税していますので、まっとうな人生を送っていると思います。しかし、私は原田隆史先生の教え子のような芯のある人とはとても思えず、私自身が人として育っていないのではないかと思うこともあります。だからこそ、人を傷つけてしまうような教え方してしまうのかもしれません。

そんな私が成人発達理論を学んだとしても、人を育てるレベルの教えができるとはとても思えず、それでは、社会が変わるような、良い人を増やすことにも貢献できません。このままでは、いつまで経っても私は、自分の子どもすら、人として育てることができないかもしれません。

私に一体何が足りないのか。本書に描かれた徳永康起先生(1912生~1979永眠)の生きざまや心がまえに答えを見つけることができました。

人を育てる教育:伝説の教師のエピソード

本書に描かれた徳永康起先生のさまざまなエピソードのち、私の胸を打った3つのエピソードを引用したいと思います。自分ならどうするか読みながら想像しましたが、徳永先生のような答えは出せませんでした。

炭焼きの子

まず、一つ目は炭焼きの子と馬鹿にされている柴藤清次少年の話です。

柴藤君は小学校四年生のときから、焼き上がった木炭を馬二頭の背中に背負わせ、山を越えて宮崎県の米良の症まで急坂を上り下りして運ぶ重労働をしており、ロクに学校に行くことができませんでした。当然、成績が悪いのでみんなに馬鹿にされ、あまり風呂にも入っていないので臭く、靴や草履もはかずにはだしで、身なりもボロボロで乞食のようでした。だからみんなから仲間外れにされ、すっかりひねくれていました。それが爆発して取っ組み合いの喧嘩になったのでした。

事情を知った徳永先生は泣きじゃくる柴藤君をなだめて言いました。
「おい、清次君。今夜、宿直室に来い。親代わりに、俺が抱いて寝よう」
その言葉に柴藤少年はびっくりしました。というのは、自分を「清次」と呼び捨てにせず、「君」をつけて一人前の人間として見ているのが伝わってきます。それまでの担任の先生はできの悪い柴藤君を端から無視していたので、炭焼きの子は先生からも相手にされないんだとひがんでいました。

人を育てる道(P38)

この経験をした柴藤少年が、その後、シベリア抑留で戦友に勇気を与える人のなります。自動車学校の教官になれば、優秀指導者として表象されます。ご結婚したら、警察も持てあます不良少年4人を自宅に引き取り、それぞれに自動車免許を取らせ、就職するまで8年間世話をします。そして、恩師である徳永先生と運命の再会して・・・。

徳永先生が抱いて寝てくれたことが、柴藤さんの人生を変えたのです。しかも、徳永先生と同じように、愛を与える人へと成長していったのでした。
私と知り合った人は、その後、柴藤さんのような人にはなってくれてるでしょうか。

昼の弁当を抜いて生徒と過ごす

徳永先生が生きた時代は、1912~1979年です。まさに第二次世界大戦後の日本を生きたのです。その当時を子どもたちの苦悩を、未熟な私は想像できません。ですから、次のエピソードを自分ごとに置き換えたとき、徳永先生と同じ答えを出すことができませんでした。

 徳永先生は貧しくて恵まれない家庭の生徒には、特に心を砕かれました。例えば、進級するとき、生徒は講堂に並んで新学年の教科書を購入します。しかし、生活保護の家庭の子は無償配布になっていて、担任の先生が教室で渡します。ところが無償で受領する生徒は引け目を感じます。自分が生活保護の家庭の子だとみんなにわかってしまうからです。
徳永先生はそのことに気を遣い、生徒たちが教室にいない間に、こっそりと机の中に入れて渡されました。
昼休みの弁当の時間はみんなが待ちに待った時間です。ある意味ではもっとも楽しい時間です。ところが生徒の中には、そっと教室を抜け出し、校庭で遊んでいます。家が貧しくて弁当を持ってくることができない生徒たちです。
それに気づいた徳永先生は心を痛め、自分も弁当を止めて、校庭で子どもたちと一緒に遊びました。

人を育てる道(P38)

私は、このエピソードの先生がもし自分だとしたらどうするかと考えたとき、食べ物を分けてあげると考えました。しかし、同じように昼食を止めて同じ立場で遊んだという徳永先生の行動を知ったとき、分けて与えることが正解なのか疑問を持ちました。

徳永先生は、なぜ、食事を分けるではなく、自らも食事を絶って子どもたちと遊んだのか、その点をよく考え、今後の自分に活かしたいと思います。

切り出しナイフ

3つ目は切り出しナイフの話です。全文引用すると長くなりますので、前半部分を要約すると次のような話になります。

『A君は貧しい家庭ではなかったのですが、頭のできがよかった兄と比べられ、家庭では叱られてばかり。あるとき学校で工作用の切り出しナイフが必要だったが、親に頼んで買ってもらうことができないでいました。兄と違い、A君が頼むと、渋い顔をされるからです。だから言い出すことができず、同級生のナイフを盗んでしまいました。』

ところがその子が「ナイフがなくなった」と騒ぎだし、当然クラスの誰かに嫌疑がかかりました。これはまずいと思った徳永先生は昼休みになると、「みんな外で遊んでこい」と教室の外に出し、疑わしい生徒の机に行き、「彼でなけばいいが・・・」と願いながら、机のフタを開けました。すると刃はキラキラ光って新品なのに、さやは削って墨を黒く塗り、古く見せようとしたナイフが見つかりました。
徳永先生はA君の家庭の状況をよく知っていたので、親に頼めなかったA君の事情を思い、かわいそうになりました。そこですぐさま自転車で学校近くの文具店に行き、同じ切り出しナイフを買って帰ると、なくなったと騒いでいた生徒の本の間に挟み、机の一番奥に入れました。
昼休みが終わってみんなが校庭から帰ると、徳永先生はなくなったと騒いでいた生徒に言いました。
「君はあわて者だから、よく調べてみろ。なくなったと言われたら、他の者は気持ちが悪いからね」
するとその子は机の奥まで探し、教科書の間に挟まっていたナイフを見つけ、「あった!」と大喜びし、みんなに「すまなかった」と詫びました。徳永先生が盗んだ生徒をちらっと見ると、涙いっぱいためて徳永先生を見ていました。先生はひと言もその生徒を責めませんでした。

人を育てる道(P38)

A君を疑ったのは見習っていいものかどうか、個人的には微妙な感情です。今の時代にそれをやったら、失礼だと大騒ぎするだけでなく、名誉棄損やら人権侵害やら大騒ぎになるかもしれませんね。しかし、その後の対応は素晴らしいとしかいいようがありません。私なんか、A君の代わりに親にお願いするという浅はかな解決法しか浮かびませんでした。器が違いますね。

人を育てる秘訣は、与えるだけではなかった

前述した原田隆史先生と徳永先生に共通点は、子どもであっても自尊心を気づけないよう配慮していることと、「与える人である」ということです。与えているのは『物』だけではなく、溢れるばかりの『愛情』もです。そんな教師に育てられた子どもたちは、成長して与える人になり、世のため人のために働いています。

教える者の精神が、教えられた者に引き継がれていく。それが、人を育てるということであり、人を育てる意味なのでしょう。

そうすると、「人を育てると言えるレベルの教育をするには、どういった心構えが必要なのか」という自問の答えは、「愛を与えること」になるのでしょうか。いや、それは、少しだけ違います。

私の主観で申し訳ございませんが、徳永先生は、愛を与えると同時に相手の痛みを貰っているように見えます。痛みを分かちあうではなく、貰っているというレベルなのです。ですから、今、痛みがあり苦しい人にとってみれば、愛情をもって接しられ、自分の痛みを貰ってくれた人のことをどう思うかと言えば、絶対に忘れることができないと存在になると思います。その気持ちをずっと持った子どもが成長して与える人になるのは、自然な流れで理解できます。

愛を与えるだけでなく、相手の痛みを貰うこと。それが、「人を育てると言えるレベルの教育をするには、どういった心構えが必要なのか」という自問の答えです。愛を与え、痛みを貰う徳永先生だからこそ、紡ぐことができたものがあったのです。私に足りなかったのは、相手の痛みを貰うという心構えだったのです。

人を育てる道:まとめ

人を育てる道はエンドレス

「人を育てるということは、どういうことなのか? どんな心構えが必要なのか?」それは、「愛を与えるだけではなく、相手の痛みを貰うことである」というのが、現時点での私の答えであり、私に足りないのは相手の痛みを貰うつもりで接する心構えであると前述しました。

そして、この結論が自分で出せるようになるまで、本当に不思議だなと思う流れを経験しました。

自己肯定感が低く、なかなか行動できない私にとって、自己成長は永遠の課題です。そんな自己評価が低い私が、何かを教える人になるとき、相手よりも優位な部分が自分にあれば、相手を見下してしまうことがありました。そして、後から、見下した自分が許せなくなるのです。「自分こそたいした人間ではないのに、相手を見下してどうする、そんなことで成長できるのか」と。

そこで、課題の解決になるのではないかと、注目したのが成人発達理論です。その学びから自立というキーワードを意識することになり、自立型人間の育成である原田メソッドを学ぶことにつながりました。

そして、原田メソッドの「時を守り、場を清め、礼を正す」という成長の三原則を意識することで、まさに場を清めるの実践者で掃除を大切にする鍵山秀三郎氏に注目し、鍵山秀三郎氏の凡事徹底という信念に共感を持ち、リスペクトしていました。

その後、偶然、本の帯に書かれた「鍵山秀三郎氏推薦」という文字が目に止まり、テーマが気になって本書を購入したことで、人を育てることはどういうことかの自分なりの答えを出すことができたのです。さらに偶然なことなのが、本書の徳永先生が影響を受け、本書にも登場している森信三先生や詩人の坂村真民さんは、原田メソッドの原田隆史先生が影響を受けている人物でもあるのです。

この流れは数年がかりですが、確実にそして何かに導かれるように、少しずつ答えに近づいていっており、バラバラだった行動が最終的にはつながっていったわけですから、学びとは不思議なものです。

そうした流れの中で、「人を育てるということは、どういうことか」という私の問いに対して「愛を与えるだけではなく、相手の痛みを貰うことである」と答えを得ることができたのは前述しました。それは良いことなのですが、同時に森信三先生や徳永先生などの伝説の教師と私の距離が一気に広がったのも事実です。到底到達できないであろう先に先人たちはおり、私の「人を育てる道」は、まだまだ続いているのです。

クズな私は、人の痛みを引き受けることができるくらい器の大きな人になれるよう、まだまだ学び続けなければならないようです。しかし、それは楽しみでもあります。

 

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