世界保健機関(WHO)が、ゲーム障害は疾病と定義しようとしているようです。
なんでも病気にするので、病気が増える世の中になりましたね。病気が増えることって、人間にとって良いことなのでしょうか。
目次
ゲーム依存、お金と時間の無駄が問題
ゲーム依存になった原因は課金して夢中になったからか?
もう、ネットゲームの類はしなくなった私ですが、一時期、睡眠時間を削ってはまっていたことがあります。
それは、ゲーム内でイベントのようなものが発生し、お宝を奪い合うゲームでした。
夢中になりましたね、あれは。
睡眠時間や仕事中にお宝奪われないよう、敵が攻撃してくると爆弾が作動し敵がやられるような罠を仕掛け防御したりしてました。
しかし、爆弾も設定できる数が限定されているので、たくさんの敵から同時に一斉攻撃されると、あっという間に防御効果がなくなり、あと一つでお宝をコンプリートするという状態だったのに、お宝が全部奪われてしまうのです。
しかも、自分が誰かを攻撃しお宝をGETすると、ライフが減ります。ライフがなくなると攻撃できない仕組みになっていて、ライフが回復するまで攻撃できません。ライフをすぐ回復させたければ課金しなくてはならないのです。
爆弾を使ってお宝を守り続けるにも、ライフを即効で回復し攻撃してお宝を奪うにも課金してアイテムを買うしかありません。お宝をコンプリートするためには、相手に奪われるより早く奪わなくてはならず、必然的にゲームに貼りつけになります。
お金も時間もゲームに奪われますが、夢中になってしまいました。
ゲーム依存か?ほとんどの時間をゲームに費やす
仕事中も、ゲームが気になって気になって仕方ないわけです。
ライフが回復するまでの間は、無意味な防御に課金をし、そして多勢で攻撃され即効でお宝を奪われる。奪われたお宝を取り返すために、課金してライフを回復させ、弱いものからお宝を奪い取る。
多勢の敵からお宝を守るために課金。
ライフを回復し弱いものを攻撃してお宝を奪い返すために課金。
延々とそれの繰り返しです。仕事している場合じゃないのです。その頃は仕事中のトイレの回数が多く、トイレの時間も長かったと思います。幸いゲームしていることがバレてなかったようです
ゲーム依存のバカ夫
少し仕事は進めては、スマホとにらめっこ。
ごはん食べていても、スマホとにらめっこ。
寝る間も惜しんで、スマホとにらめっこ。
妻と出かけていても、スマホとにらめっこ。
ずっとスマホとにらめっこでした。妻に話しかけられても適当に返事していました。妻もよく我慢してくれたと思います。おそらく、課金していたことがバレていなかったからと思いますが、バレていたら本当にどうなっていたことか。
ゲームへの課金、費やした時間無駄です。きっと私と同年代のサラリーマンなら、お金や時間をスキルアップへの投資や家族サービスに使うでしょう。成長なんてするわけがない、お金と時間の無駄遣いでした。
ゲーム依存から抜け出せるか?
ゲーム依存のせいで課金が大問題に
そのゲームにハマっていたころ、月のスマホ代が万単位になってしまい、請求額みたときは唖然としました。
「何をやっているんだ俺は!つらい仕事だけど、苦労して、がんばって、やっと稼いだお金をいったい何に使っているんだ!」
自分を責めました。でも、ゲームをやめれませんでした。
むしろゲームの種類も増えていました。
ゲーム依存のせいでイライラする日々
スマホから片時も目を離せず、ゆっくりと寝ていられず、課金という無駄遣いのせいで自分の小遣いを極端に減らし、食事代を浮かすなど帳尻を合わせる日々。イライラと自責の念を行ったり来たりする日々。
「これじゃ心がもたない、ゲームをやめたくてもやめれない。これって、ゲーム 依存症じゃないのか?」
ゲームは絶対にやめたい。でも自分の力でやめられない。もはやゲーム依存症の治療を受けた方がいい。そんな状態でした。
ゲーム依存をやめたい、その強い想いが自分に届く
そんな依存にどっぷり浸かっていたある日、突然ゲーム依存から抜け出すチャンスが来ます。
そのゲームは同じようにアイテムをコンプリートするために、課金しまくっていたのです。ほしいアイテムは課金すれば一定の確率で出現するような内容だったので、コンプリートするためにそれなりの金額を課金しました。
でも、まったく出現しないのです。これまでは月で万単位の課金でしたので、どこか自分を許していたのですが、この時は一日で万単位使わされ、怒りが爆発しました。
「こ、これはカモにされている!わざと出さないようにしているのでは?だとしたら、なんという屈辱か!」
私は、無駄にプライドが高く馬鹿にされるのが大嫌いなのです。ゲーム熱が一気に冷めました。無駄にプライドが高い私ですが、その「無駄」に救われました。
奇跡的ですが、自力でゲーム依存から抜け出せました。
律儀にも、見ず知らずのゲーム世界の仲間一人一人に挨拶してやめました。もちろん、その時のゲーム仲間とは、今でも現実の世界で何の縁もありません。
また、後日知ったことですが、私なんかより遥かに課金も時間も費やしているゲーム依存者がいることを知りました。
なんだかんだ言っても私は依存が軽い方だったのかもしれませんね。
ゲーム依存は、誰のせいなのか?
ゲーム依存は自分のせい
現実の世界では、上司に誘われても飲みにいかない、後輩のためにおごってあげることすらしない。
そういうコミュニケーションが苦手でケチな私です。
そんな私が、ゲームの世界では見ず知らずの仲間のために体を貼り、課金していたのです。
「なんてバカだったんだ、俺は・・・」
ゲームをやめた後、自分の馬鹿さへの失望感からしばらく立ち直れませんでした。
全部、自分のせいなのですから言い訳ができません。
ゲーム依存、誰かのせいにしたい
あれから何年も経過し、今思うとあの頃私がはまっていたゲームは、巧妙な仕組みだったなとつくづく思います。ゲーム制作者もよく考えたものです。悔しいです。完全に翻弄されてたわけですから。
本当に誰かのせいにしたくなります。
では、もし誰かのせいにできるとしたら誰のせいなのでしょう?
人をはまらせるようなゲームを制作している人達が悪いのでしょうか?
いや、ゲームにはまっているのは自分の意思ですから、制作者は悪くないでしょう。でもゲームの何かしらの目的を達成するために、人は夢中になり熱くなっているわけです。ゲームとはそういうものであり、そういう風に製作者が作っているわけです。そうするとやはり、制作者が悪いのでしょうか。
堂々巡りになります。
そこでWHOの答えにすがるわけです。
ゲーム依存、それは、病気だ。
ゲーム依存は疾病というWHOの定義
病気ですと言われると、病気のせいにできるのです。
自分のせいでもないし、親のせいでもないし、制作者せいでもない。
病気のせいにできるのです。
あの頃の私は、病気だった。私のせいではなく、病気のせいでおかしかった。そう考えると、救われる気がします。
また自分のせいではなく、病気にせいすることで、「自分VS病気」というように病気と闘うという心の持ち方もできます。自分が悪いと考えるより自分の病気が悪いと考える方が、「どうやって自分の病気を治そうか」と自分の悪い部分を客観視できて問題解決につながるかもしれません。
なんでも病気にする世の中もどうかと思う気がしますが、病気と定義して自分や家族や誰かを責めないで済むのなら、なんでも病気にする世の中も悪くないかもしれません。
ゲーム依存は病気、WHOが定義することで問題に向き合うことができ救われる人が増えることを願います。