学び



「学びとは何か?何のために学ぶのか?」わかるようでわからない学びの正体について

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「学びとは何か?」このことをよくわかっていないと意味のない学びを繰り返してしまいます。人生は、長い時間があるとはいえ、時間が余っているわけではありません。意味のない学びを繰り返すために時間を使うなんて、なんだかもったいないと思いませんか。

より多く学び、より深く学ぶためにも、「学びとは何か」「何のために学ぶのか」、今一度「学び」を学んでみたいと思っておりましたところ、発行日が古い本でしたが、良い気づきを得たので紹介させていただきたいと思います。

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「学び」の構造とは

何故本を何冊も読むのか?失敗からの気づき「わかるとはどういうことか?」

私事ですが、例えば何冊も本を購入し読破しているのに、本から何も学べていないと思うことが多々あります。だから余計に何冊も読んでしまうのです。時間とお金が無駄です。何を学べたかわかっていません。だからこそ、無駄だったと思っているわけです。

ここで「学び」について気づくことがあります。わかっていないというキーワードです。そもそも『わかる』とはどういうことかということです。

「わかる」と「おぼえる」の違い

学びには「おぼえる」と「わかる」があります。一体、「おぼえる」と「わかる」は、何が違うのでしょうか。
少し長文になりますが、著者の説明をピックアップします。

では一体、「おぼえる」ことと「わかる」ことは一体どこがどうちがうのだろうか。
まずある過去の時点でわれわれは「知らない」状態にあるとしよう。そこでは何か新しいことがらを「おぼえる」ことにし、何度も自分にくりかえして言いきかせたり、他人に注意されたりして、ついに「おぼえた」状態になる。ところがそのままでほっておくと、自然に「わすれる」もので、ついには完全に「わすれた」状態になり、そこでははじめの「知らない」状態と本質的には変わらない。
一方、「わかる」ということばの場合には、「おぼえた」ことを「忘れる」場合のようにもとの状態になることができない。(少なくとも「もとの状態にもどる」ことに対応することばがない。)すなわち、一度わかったことは、あとでさらに新しいことがわかったことにより、わからなくなることはあり、それが「もとの問題に逆戻りする」ということはおこりうるが、そのことは、いわゆる「知らない」状態になったことではなく、「わからなくなった」という事実をふまえた上でのことであろう。
たとえば、「地球はまるい」ことが一たびわかってしまうと、もはやそのことを「知らなかった」状態にもどることはできない。それをあたかも「知らなかった」ことにする、というわけにはいかない。
つまり、「おぼえる」ということは「可逆的」(もとにもどる)ことばであるのにたいし、「わかる」ということばは「非可逆的」(もとにもどらない)ことばである

「学び」の構造(P38~39)

「おぼえる」は知らない状態にもどるが、「わかる」は知らない状態にはもどらないとのこと。はっとしました。今までの無駄は、覚えようとした結果なのであり、わかろうとした結果ではないのです。だから、知らない状態に戻っていたわけです。

自分の学びだけではありません。自分が教える役のとき、なかなか覚えられない人に対して、覚えが悪い!とかなぜ、こんなこともわからないのか?と思ったことがあります。でもそれは、そもそも教えている自分が『覚えること』と『わかること』の違いをわかっていなかっただけであり反省すべきことでした。覚えるだけの教え方では『わかる』ようになるわけないのです。
自分の方が相手より知識があるからといって、相手のわかる状態をわかろうともせず、一方的に自分のペースで教えるのは過ちでした。

そうなると押さえておかくてはならないことがあります。それは、『わかる』状態とは、どういう状態かということです。

わかるがわかれば教えるがわかる

学んでいる自分自身がわかっていると感じる手応え、教えている立場として相手がわかっていると感じる手応え。それぞれどういう状態であれば、『わかる』とい手応えを感じることができるでしょうか。

本書から抜粋してみると、次のような状態になります。

①「わかるとは」「わからないところがわかる」ことである。
②「わかるとは」「絶えざる問いかけを行う」ことである。
③「わかるとは」「無関係であったもの同士が関連づいてくる」ことである。
④「わかるとは」「死にいたるまでわかりつづけていく」ことである。

文章だけだと若干理解しずらい点があるかと思います。そこで、①~④はどういうことか、考えてみます。

まず、①と②ですが、例えば、誰かに説明し「何か質問ある?」と聞いたときに、相手が「大丈夫です」と答えたときと、「実は・・・」と質問されたとき、どちらがわかっているなと感じるでしょうか。
きっと、質問されたときではないでしょうか。あるいは、正直にわからないと答えてくれた方が、わかってくれている気がします。

であるならば、どうすれば「大丈夫です」と言われないような教え方をすることができるか、教える側も工夫することができます。たとえば、以前紹介した黒岩氏のマネージメントが参考になるでしょう。「今教えたことを説明してみてくれる?」と問うてみることです。

この黒岩氏の取り組みじたいが、①と②をクリアしていることに今さらながら気づかされました。自分に対しても相手に対しても、問うこと。問い続けることができること。それが「わかる」ということなのでしょう。

次に③ですが、これも以前紹介した『能力の成長』という本の中の「ダイナミックスキル理論」を学んだことがある方なら、ピンとくるかもしれません。ダイナミックスキル理論では、能力の成長には5つの法則があると説明されております。そのひとつである『統合化』という法則は、別々の能力が組み合わさって新しい別の能力ができることを言います。

例えば、『考える能力』と『キーボードを打つ能力』が掛け合わさって、『ブラインドタッチ』という能力が生まれるなどがいい例でしょう。こういう経験は誰にだってあると思います。これもわかるがゆえに起きていることなのです。

④については、ある学びについて、追究していくことでしょうか。追究すればするほど深い知識を得ることができますよね。

何を学ぶのか?それは、あれだった。

そもそも学びとは何を学ぼうとしているのでしょうか。知識や技術でしょうか。
いや、もっと奥が深そうです。P80の著者のエピソードに、息子が家じゅうの壁のあちこちに落書きしていて、おしりをぶって(罰)怒る話があります。そのときの著者のきづきをピックアップいたします。

彼のそのときの表情は、どうみても「罰をおそれる」というようなものではなく、明らかに何かを知ろうとしている表情、「これもだめなの?」と問いたげな表情であった。
そのときからわたしは、「子どもは罰をさけるために善を行う」という発達心理学の教科書に出ているはなしは「ウソ」であると思いはじめた。子どもは、「おそれて」いるのではなく、一つのルールを「知ろう」としているのだ。まさに、「一貫性」をさぐり出そうとしてるだ、と。

「学び」の構造(P80)

一貫性は、名著「影響力の武器」の6つの原理(返報性、一貫性、好意、社会的証明、権威、希少性)のうちのひとつであります。人が人に影響を与えるため強力な心理的要素です。

わたしどもは、他の人の一貫性を、自分の一貫性の中に「探り入れて」いく。人の話にあわせる、とか、人の考えを借りてくる、というのではなく、他の人の一貫性であると同時に、自分の一貫性でもあるようなものが、自分自身の中に、自分自身の内からのはたらきと競合して、生み出されるものである。
このように、わたしの中に、あらたによりよく人々と「わかちあえるもの」が生み出されていくものであり、また、あなたの中に、あらたによりよいものを、あなたの一貫性と協合しつつ、生み出して、わかちあっていけるものである。
人間のこのような「一貫性のわかちあい」を、別のことばであらわそうとすると、そこには「愛」ということば以外に見当たらない。

「学び」の構造(P86)

著者のこのまとめ方に痺れてしまいました。何しら『一貫性』をわかろうとし、他人との一貫性のわかちあいが愛である。尊いと思うのは私だけでしょうか。

誰かに憧れて、その人のやり方を真似る理由は、成功したいからという単純な話とは限りません。むしろその逆で、一貫性のわかちあいかもしれないのです。

憧れの人の一貫した何かと、自分が一貫して行ってきたこと。それが「どう違うのか」探り入れるために真似る。その人に追いつき追い越せと自分の一貫性を強化していく。その行動の中で、相手の一貫性の凄さに気づいたとき、より尊敬できるようになる。そんな学びができれば、美しいものです。

何のために学ぶのか?

そもそもなぜ人は学ぶのでしょうか。

「何のために学ぶか」という問いは、恐らくすべての人が人生の途上、何度もくりかえし問うていることであろう。子どもは子どもなりに、生徒は生徒なりに、学生は学生なりに、誰でもふとしたときに「こんなことやって一体何になるのだろう」という疑問をもちながら学ぶものである。
そのときどきに、わたしたちが自分自身を「言いくるめる」理由も千差万別である。「おかあさんがヤレっていうから」、「ほかの子もやってるから」、「これをやっとかないと試験に落ちるから」・・・・などと一応は答えてみる。しかし、心の奥底では「でもそれだけのためじゃないはずだ」という気持も一方にはのこる。
また、人々が寝静まった夜、ひとりで静かに本を読み、もの想いにふけっているとき、自分が今「考えている」このことは、誰のためでもない、何のためという訳でもない、ただ、ものごとがわかってくるたのしさ、おののきだけがそこにあり、これが本当なのだ、これが人間としての生き方というものだ、という気持が、心の奥底からつきあげてくる経験もあるだろう。

「学び」の構造(P165~166)

「何のために学ぶのか、それは何のためではない、それが人間としての生き方なんだ」
どうでしょうか、大人なら納得できるかもしれませんが、子どもの質問対する答えだとしたら肩透かしと思われるかもしれません。

「学び」の構造:まとめ

学ぶ意味、人間らしく生きるため

人は不完全な生き物です。ですから失敗します。失敗すれば、多くの人は落ち込むし、自分に厳しい人なら自分を責めるでしょう。考えすぎて心の病気になる人もいるかもしれません。

失敗によってマイナス方向に進んでしまったとしたら、それは人間らしい生き方だと言えるでしょうか。自分らしい生き方だと言えるでしょうか。いえ、決して人間らしくも、自分らしくもないです。

そういった自分自身への攻撃で自分を弱らせることがないよう自分を守るため、「学び」があるのだと思います。成功と失敗はどちらも行動の結果です。行動の結果、成功だったとか失敗だったではなく、成功や失敗を学べたと考えてみる。学べたという結論であれば、自分を責めることにはなりません。

「人は何のために学ぶのか?」

「それは、行動の結果による失敗から自分の心や命を守り、自分らしく生きるためだ。そして、自分らしく生きることは、誰かを守り、人間らしくあることにつながる。そのために人は学ぶのだ。」

どうでしょう。このように説明すれば、「何のために学ぶのか、それは何のためではない、それが人間としての生き方なんだ」という回答よりかは、子どもも納得してくれるかもしれません。

 

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