人生



意味のない死、そんな地獄からの生還者が問う生きる意味とその答え。

「人はいずれ死ぬ。なのにどうして生まれてくるのか。生きづらい世の中、生きる意味はあるのか。」などと誰もが一度は考えたことがあるかもしれません。人生は矛盾だらけで苦悩に満ちており、悩みたくなるものです。

しかし、安全な場所で悩めるなら、マシなのかもしれません。痛み、空腹、侮辱、絶望。強制収容所で拷問を受けている人たちは、悩むことができたのでしょうか。想像できません。

ヴィクトル・E・フランクル氏はそんな地獄を乗り越えて、名著「夜と霧」を残してくれた人です。ぬくぬくと平和に過ごした人ではなく、そんなフランクル氏が語る生きる意味とはどんなものなのでしょうか。

 

夜と霧が語る生きる意味とは

私は戦争を経験したこともなく、強制収容所に囚われたこともなく、信仰もないです。ヴィクトル・E・フランクル氏が生きた時代とは、全く違う社会で生きてます。そんな違いがありますから、『夜と霧 新版』を読むとき、現代の価値観で判断しないようにしようと注意していました。重いテーマですから、著者に感情移入して誤った判断しないためにも、極力冷静に読む必要があります。

本読は、著者ヴィクトル・E・フランクル氏(以下フランクル氏)の狙いなのか翻訳の力なのか、わかりませんが、重い描写は押さえられており、その点では読みやすかったです。しかし、フランクル氏が「生きる意味は何だ」と言おうとしているのか、捉えるのが難しかったです。ゆえに、何度もいったりきたりしながら読み返しました。

私なりに『夜と霧 新版』から伝わった「生きる意味」について感想を書かせていただきますが、ここから先の文章がわかりづらかった場合は、私の力量不足です。その点についてご容赦いただければ幸いです。

強制収容所での至福の境地とは

38度以上の熱があり、頭が痛くて起きられず、食事もしたくない時に、楽しいことを想像できるでしょうか。弱い私にはできません。体がつらいのに頭で幸せなことを考えるなんて難しすぎます。

しかし、フランクル氏の場合は、具合が悪いというレベルではなく、今死んでもおかしくないくらいの拷問を受けているのです。信じられないことに、そんなときでも、精神力で至福になれるというのです。

人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、私は理解したのだ。

収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を絶たれるという、想いのかぎりでもっとも悲惨な状況、できるはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができのだ。

夜と霧 新版(P61)

本当に拷問の苦しみの中で至福になれるのか、拷問を経験したことがない私には想像ができません。「噓でしょ、後づけ論でしょ」そう思ってしまうのが正直なところ。

とはいえ、フランクル氏のおっしゃることは理解できます。自分の外側ではなく、自分の内側に幸せを求めたということです。自分の心を自分がどう思うかは、自分でコントロールできますので、体はつらく苦しくても、頭の中は幸せになれるという理屈は理解できます。

しかし、繰り返しますが強制収容所の出来事は単なる体調不良ではありません。拷問なのです。死んだ方がマシかもしれない苦しみが続く中、なぜ精神力で至福の感情を呼び起こし続けることができるのか苦しさに耐え生き続けることにどんな意味があるか、疑問が残ります。

未来がわからないから生きる意味がわからない

まず、「なぜ、精神力で至福の時を呼び起こすのか」について考えたいのですが、それは答えはシンプルで、そうでもしないと生きられないからでしょう。

元被収容者についての報告や体験記はどれも、被収容者の心にもっとも重くのしかかっていたのは、どれほど長く強制収容所に入っていなけらばならないのかまるでわからないことだった、としている。

夜と霧 新版(P118)

未来がどうなるかわからず、環境(=強制収容所)によって自由が奪われ、苦しみが続いているわけですから、精神が崩壊してもおかしくないですし、死を選んでも不思議ではありません。

長らく収容所に入れられている人間の典型的な特徴を心理学の観点から記述し、精神の立場で解明しようするこの試みは、人間の魂は結局、環境によっていやおうなく規定される、たとえば強制収容所の心理学なら、収容所生活が特異な社会環境として人間の行動を強制的な型にはめる、との印象をあたえるかもしれない。

しかしこれには異議がある。では、人間の自由はどこにあるのだ、与えられた環境条件にたいしてどうふるまうかという精神の自由はないのか、と。

夜と霧 新版(P109)

しかし、環境(=強制収容所)の影響により、本当に未来や自由が奪われてしまうのかについて、フランクル氏は、それは違うと言っているのです。では、ここまでの主張をまとめると、

未来がわからないから絶望する。けれど、日々愛する人に想いをはせ(るなどで)至福のときを得れば、生きることができる。

と、いうことになるでしょうが、その主張は理解できます。しかし、疑問があります。それは、日々生きるための心のあり方を知っていたとしても、死ぬほどの拷問が続いている中、耐え続けることができるものなのか、という疑問です。ここまでの主張は、とても拷問を耐えれる理由になっていない気がするのです。

やはり未来へ目標持つことなのか

したがって、収容所生活が被収容者にもたらす精神病理学的症状に心理療法や精神衛生の立場から対処するには、強制収容所にいる人間に、そこが強制収容所であっても、なんとか未来に、未来の目的にふたたび目を向けさせることに意を用い、精神的には励ますことが有力な手立てとなる。

夜と霧 新版(P123)

ここで、やはりというか、未来に対し目的・目標を持つのが大事という理論が出てきます。もうこの理論は現代でもおなじみで、鉄板ですね。では、さきほどの主張に一文を付け加えてみましょう。

未来がわからないから絶望する。けれど、日々愛する人に想いをはせ(るなどで)至福のときを得れば生き続けることができるのは、未来に目的があるからなのです。

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」

夜と霧 新版(P128)

たしかに未来に希望があるなら、拷問にも耐えれるかもしれません。少しだけ納得感が増した気がします。しかし、しつこいですが、未来に目的があったとしても、環境(=強制収容所)は未来への絶望を与え続けてます。そんな中で、未来を信じ生きることができるのでしょうか。

ここでようやく、生きることに意味があるのかを考える必要があることがわかりました。

生きる意味とはなにか

P129以降の「生きる意味を問う」で語られていることが、フランクル氏が強く伝えたいことではないかと私は考えております。

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

夜と霧 新版(P129~130)

ここでフランクル氏がおっしゃられていることは、非常に難しく、私は今だ理解できていないかもしれません。「生きるとはつまり」と意味に対する答えが語られてますが、その後の「問いに正しく答える義務」「各人に課す課題を果たす義務」、「時々刻々の要請を充たす義務」と、生きる意味の結び付けが難しく、なんだかモヤモヤします。

わたしたちは生きる意味というような素朴な問題からすでに遠く、なにか創造的なことをしてなんらかの目的を実現させようとは一切考えていなかった。わたしたちにとって生きる意味とは、死も含む全体としての意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいていた。

夜と霧 新版(P131)

ただ言えるのは、「生きる意味とは」の問いに対し、そんなものは素朴な問題と言っております。また、目的を実現させることではないとも言っております。

このあたりのモヤモヤする表現を整理する限り、生きる意味とは「こうである」と、答えられるものではないとおっしゃられいることがわかります。

わたしたちにとっては、苦しむことですら課題だったのであって、その意味深さにもはや目を閉じようとは思わなかった。わたしたちにとって、苦しむことはなにかをなしとげるという性格を帯びていた。

夜と霧 新版(P132)

苦しむことも課題であり、なにかをなしとげるという性格を帯びている。ということは、苦しむことも生きる意味のひとつということでしょうか。そう仮定します。

とすると、生きるとは先ほどの3つの義務を引き受けることと言われてますから、であるならば、苦しむという課題を引き受けること、苦しみという問いに正しく答えることが生きることであると言えそうです。

これまでフランクル氏の言われていることをまとめて「生きる意味」について解釈するならば、「こんなに苦しい想いをしてまで生きる意味とは何だろう」と考えるのではなく、「この苦しみは生きていく上でどんな意味があるだろうと問い、その問いに答えていくことが生きること」。このようにおっしゃられていると思われます。

自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

夜と霧 新版(P134)

主張をまとめると、

未来がわからないから絶望する。けれど、日々愛する人に想いをはせ(るなどで)至福のときを得れば生き続けることができるのは、未来に目的があるから。そしてその未来を信じ続けることができるのは、自分におきている苦しみの意味を問いその問いに答え、その答えを引き受けているから。

このように言われているのは、なんとなくですが理解できた気がします。

しかしですね、私はまだ納得できないのです。なにしろ死ぬほどの拷問です。上記の説明だけで、死ぬほどの拷問に耐えるほどの強靭な心、折れない心の強さを持つことができたとはとても思えないのです。何かが足りないのです。

折れない心の強さの元は信仰か

心の強さはどこからくるのか、それはもう少し読み進めるとヒントを得ることができました。

わたしたちひとりひとりは、この困難なとき、そして多くにとっては最後の時が近づいている今このとき、だれかの促すようなまなざしに見下ろされていると、わたしは語った。だれかとは、友かもしれないし、妻かもしれない。生者かもしれないし、死者かもしれない。あるいは神かもしれない。そして、わたしたちを見下ろしている者は、失望させないでほしいと、惨めに苦しまないでほしいと、そうではなく誇りをもって苦しみ、死ぬことに目覚めてほしいと願っているのだ。

夜と霧 新版(P139)

未来に目的を持ち信じようと言われていましたが、一方で、誇りをもった死について語られてます。死を覚悟しているわけです。

ようやく折れない心を支えているものが何かに近づいてきた気がします。たしかに誇りある死のためと死を覚悟しているなら、未来を信じ強く生きることができるかもしれません。

わたしは、ひとりの仲間について語った。彼は収容所に入ってまもないころ、天と契約を結んだ。つまり、自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願ったのだ。この男にとって、苦しむことも死ぬことも意味のないものではなく、犠牲としてこよなく深い意味に満たされていた。彼は意味もなく苦しんだり死んだりすることを望まなかった。わたしたちもひとり残さず、意味なく苦しみ、死ぬことは欲しない。

夜と霧 新版(P139~140)

ここでようやく納得できました。「自分が犠牲になる代わりに愛するものを守ってほしい」そう神に祈り、自分の死が意味のないものではないと強く信じているから、誇りを持った死を覚悟することができると。信仰がない私にはなかなかわからない感覚です。だからこそフランクル氏の言わんとしていることがわからなかったのかもしれません。

私たち日本人もまた、このような感情に似ている心の強さをもった人たちを歴史に知っております。天皇陛下のため、祖国のためと自らの命を特攻に捧げた若き先人たちです。「靖国神社で会おう」という言葉と、フランクル氏が言いたいことがなんとなく重なる気がするのは私だけでしょうか。

決して信仰を勧めるわけではありませんが、信じる力の究極は、神や愛するものへの信仰なのでしょう。自分のためではなく、他人のためでもあるからこそ、人は強くなれるのだということが、『夜と霧 新版』を通して改めて伝わった気がします。

そして、誇りある死を覚悟した者の死が、本当に意味ある死にするのは誰の役割か。それは、生き残った者、生きている者の役割かもしれません。

夜と霧が語る生きる意味:まとめ

たとえ命が危なくとも自己実現の欲求をもつことができる

『未来がわからないから絶望する。けれど、日々愛する人に想いをはせ(るなどで)至福のときを得れば生き続けることができるのは、未来に目的があるから。そしてその未来を信じ続けることができるのは、自分におきている苦しみの意味を問いその問いに答え、その答えを引き受けているから。
苦しみの中で、そう想い続けることができるのは、誇りある死を覚悟しているから。なぜ、誇りある死と言えるのか、それは自分が信じる者、愛する者のための犠牲となる死だから。

『夜と霧 新版』を読み、かなり時間がかかりましたが、生きる意味について整理がつきました。
生きる意味には、こうだという答えがなく、その問いじたいが間違いであり、今起きていることが自分の人生にどんな意味があるのかと問い続け答え続けることが生きることである。
私は、このように理解しました。旧版の『夜と霧』を読んだら、また違う感想になるかもしれませんが、現状はこの理解で満足してます。

そして忘れてはならないことがあります。それは『マズローの欲求5段階説』との関係です。『マズローの欲求5段階説』についての詳細はリンク先をご覧ください。

『マズローの欲求5段階説』を簡単に言うならば、「①生理的欲求」が満たされたら、次の「②安全の欲求」が満たされるといったぐあいに、一つ下の欲求から順に欲求が満たされるということです。

しかし、もしフランクル氏の言っていることが事実であるなら、『マズローの欲求5段階説』は否定できます。なぜなら、フランクル氏の話は「①生理的欲求」が満たされていないのに「⑤自己実現欲求」を持つことができたと言っているようなものだからです。

少なくとも生理的欲求が満たされている私が、自己実現の欲求を持てないことはなさそうです。持てないと思ってた過去は、フランクル氏から言わせれば、言い訳に聞こえるでしょう。

最後になりますが、私は自分の言葉で生きる意味を語れないほど、未熟であることがわかりました。でもそれは悲観することではありません。「まだまだたくさん学べることがあるからもっと学べ」という意味があるのです。

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