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何気ない日常で、ふと人生の教訓を学ぶことがあります。とくに子育てをしていると、「本当に自分が親なのか」と思うくらい、子どもが私に人生を教えてくれます。
久々に子ども自転車の練習に付き合って、気づかされたことがありますので、忘れないうちに書きたいと思います。
何事も最初の一歩が難しい
経験に勝る学習なし
1月に練習してから三ヶ月経過しました。その間まったく練習していなかったので、今回も最初からやり直しのような気がします。前回は親の私が足をひっぱっていたので、娘の上達の足かせでしかありませんでした。
しばらく自転車に乗っていなかったので、「もう飽きたかな」と思ってましたが、小学2年生にもなれば、周りの友達にも自転車に乗れる子が増えてくるせいか、娘も練習に意欲があります。集団生活パワーですね。みんなが乗れるなら私もってやつです。
前回は私が後部を支えて手押しで助走つけてから、20~30メートル進めるところまでで練習を止めましたので、まずは前回と同じくらい進むことができるか確認です。
私としては覚えていないと思っていたのですが、実際に娘にチャレンジさせてみるとあっさりとクリアしました。しかも自転車を漕いだ距離も、前回より伸びています。少し拍子抜けしましたが、幸先いいスタートです。
体は覚えているものですね。やはり経験に勝る学習はないのでしょう。「自分はいつも頭で考えて、行動していないな」思わずいつもの自分を反省してしまいました。
最初の一歩が難しい
手押しで助走をつけるなら、ある程度乗れることがわかりました。しかし、自転車は止まっている状態から、自分でペダルを漕いで自分の力で動かさなくては前に進みません。
このとき娘には簡単なアドバイスをしましたが、その後は口出しするのをやめました。前回の指導の時、親がいろいろ指示を出すことより、娘自身が工夫した方が早くコツを掴んだからです。
ここから娘の格闘が始まります。なかなか最初の一歩が進みません。親からみれば、自転車を漕ぐなんて簡単なことですが、娘にとっては相当難しいのでしょう。最初の一漕ぎで苦戦しています。そうなってくると娘も飽きてきたのか、少し練習しては遊び、少し練習しては遊びを繰り返してます。
怒りそうになりましたが、冷静に考えてみれば大人だってうまくいかないときは、ちょいちょい休みます。子供だって同じなのです。そこをわかってあげなければ親失格です。
それにしても、前回の練習のときも、今回の練習でも、最初の一歩を進める練習が一番時間がかかってます。
「やっぱり最初の一歩が難しいか・・・」そうだよね、人生だって、最初の一歩が一番難しいもんね・・・。
最初の一歩を苦もなく進むことができれば走り出せるのに、その最初の一歩がなかなか踏み出せないものです。自分を変えたい、何かを始めたいと思っても、どう変わりたいのか、何を始めたいのかが定まらず、結局最初の一歩を踏み出せません。それで、何度やりたいことを先延ばし、後悔したことか・・・。
なにをやるにしても最初の一歩が難しいのは、痛いほどわかります。
努力して得たスキルは簡単には忘れない
ここでもう一つ気づかされます。それは、「一生懸命練習して身に着けた実力は、そう簡単に忘れない」ということです。娘が三ヶ月前に覚えたことを、今、簡単に思い出せたように、努力して得たことは覚えているものです。
仕事で嫌な思いをしながら、きついことにも耐え、努力して習得したスキルですが、部署異動するなり、異業種に転職するなりして、そのスキルを使わなくなったとしても、ある日突然、そのスキルが出番になることがあると思います。
そんなとき、多少忘れていても、思い出すまでにそれほど時間がかからなかったというような経験がある人は割と多いのではないでしょうか。
がんばってやってきたことは、無駄にはならないのですね。もし無駄だと思ったなら、それはそう思うことが無駄であり、やってきたことは無駄ではないのです。
教訓:何事も最初の一歩を踏み出すまでは全力で試行錯誤しよう
妻が作ったお昼の弁当を食べた後も、娘の格闘が続きます。いろんなやり方を試行錯誤しているのがわかります。相変わらず最初の一歩が難しく苦戦してますが、だんだんとできそうな感じがしてきます。
「そうだ!いろんなことを全力で試すしかない、頑張れ!」
まるで、自分を励ますように娘を励ましました。そして、頑張ったかいがあり、なんとか自力で自転車を進められるようになりました。自転車を漕ぎ、輝く娘の顔にグっとくるものがあります。
何事も、最初の一歩が難しく、それでも一歩進むためには、いろんなことを全力でチャレンジするしかない。
失敗を恐れて、考えているだけ時間の無駄。
チャレンジし続ければ、いつかは目標達成する。
もし失敗したとしても、経験を得ることができるので無駄ではない。
娘の自転車の練習で、そんな人生の教訓とに気づかされた良い一日でした。