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岸辺露伴ルーヴルへ行く【映画・漫画】は、大人気漫画ジョジョの奇妙な冒険第4部に登場する漫画家、岸辺露伴が主人公であり、ジョジョシリーズのスピンオフ作品である。
漫画やアニメの映像化については、個人的な感想として失敗作が多いという印象がある。しかし、岸辺露伴シリーズのドラマ・映画については、ジョジョファンも納得の成功作ではないかと思う。それは岸辺露伴役の高橋一生さんの役作りによろう。
そんな映画を視聴した結果、突っ込みどころもあったが人生について考えさせらる部分もあった。そこで、今回は、映画:岸辺露伴ルーヴルへ行くの感想を書きたいと思う。
映画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」の感想・ネタバレ注意
ここから先はネタバレありのなのでご注意を!
まず、最初にちょっと変だよ映画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」について語りたい。
ここが変だぞ:映画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」
①モリス・ルグランの黒い絵に攻撃された
漫画になく映画だけの設定として、モリス・ルグランの黒い絵が登場する。
ストーリーの最初で岸辺露伴はモリス・ルグランの黒い絵を購入し、自宅に持ち帰った後、盗まれるわけだが、盗んだ犯人(カワイ)はモリス・ルグランの黒い絵に攻撃され死亡する。
ストーリーの後半で本物の黒い絵(山村仁左右衛門の絵)は、ルーヴル美術館のZ-13地下倉庫にあることが判明する。岸辺露伴は観に行き、黒い絵から攻撃を受ける。
おいおい、おかしいでしょうよ!
なぜ、岸辺露伴の自宅からモリス・ルグランの黒い絵を盗んだ犯人(カワイ)は、攻撃されたのか。山村仁左右衛門の黒い絵はルーヴルにある。モリス・ルグランの黒い絵が攻撃できるはずはないのだ。仮に山村仁左右衛門の黒い絵を見たモリス・ルグランが描いた絵だから、モリス・ルグランの黒い絵にも攻撃力が備わってしまったのであれば、すでにモリス・ルグランの黒い絵を見ている岸辺露伴や泉京香が攻撃を受けていないのはおかしい。どうも辻褄が合わないのである。シナリオのミスか?
②ルーブルにあるはずの仁左右衛門の絵が岸辺家にあった
岸辺露伴が17歳のとき祖母の家で出会った女性、菜々瀬。その菜々瀬からこの世でもっとも黒い絵はルーヴルにあると聞かされる。この点は映画も漫画も同じ。
だが、映画は脚色されていて、黒い絵は祖母の家にあり、岸辺露伴はその絵の存在を知っていたことを思い出す(絵の中身は観ていない)。
おいおい、おかしいでしょ?
菜々瀬はルーヴルにあると言ってるのに、なぜ岸辺家にあるのか。脚本作成の段階で気づかなかったのか。なお、漫画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」では、映画のようなおかしな話にはなっていない。シナリオミスか?
③岸辺露伴のスタンド「ヘブンズドアー」の能力開花の時期
ジョジョの奇妙な冒険第4部によれば、岸辺露伴のスタンド能力は、虹村刑兆の弓と矢に射抜かれたことによって目覚めた。このとき、岸辺露伴は20歳である(下記参照)。
しかし、『岸辺露伴ルーヴルへ行く』では、17歳の学生時代に「ヘブンズドアー」に目覚めていることがわかる(下記参照)。この点は漫画も映画も同じ設定であり、ジョジョの奇妙な冒険第4部の20歳のときに虹村刑兆に矢で射抜かれてスタンド能力を身に付けたという事実と話が合わない。
17歳の岸辺露伴は、菜々瀬に対してヘブンズドアーを使うことを躊躇う。躊躇ったことがその後のストーリーに影響を与えているように思えないことから、個人的には最初から菜々瀬に対してヘブンズドアーを使うエピソードはなくてもよかったと思う。そうすればスタンド能力開花の時期がおかしくなることもなかったと思われる。少し残念な個所だ。
④泉京香は仁左右衛門の黒い絵から攻撃されていない
実は泉京香も仁左右衛門の黒い絵を観たのだが、なぜか攻撃を受けていない。映画パンフレット渡辺一貴監督のインタビューによると「まずは自分の罪が襲ってくる。そして罪を犯していない人、犯した自覚のない人は、過去に遡って先祖の罪が襲ってくる。という設定」であることを原作者の荒木飛呂彦先生に確認したらしい。
であるならば、泉京香だって襲われるはずなのである。それとも、泉京香の場合は先祖ですら罪がなかったというのであろうか。
ここが良いとこ:映画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」キャストの魅力
映画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」の良い点についても語っておきたい。
映画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」飯豊まりえの存在意義
おしゃれな映画だ、それが視聴後のすぐに浮かんだ個人的な感想だ。漫画「岸辺露伴ルーヴルへ行く」のまま映像化していたら、間違いなくサスペンス映画だったと思うだけに不思議な感想だった。
そこで、おしゃれな映画のように感じた理由を考えた。
ぱっと思いついたのが、漫画には存在せず映画には存在する泉京香の影響だ。泉京香というより飯富まりえさんの演技が映画を明るくしているとしか思えないのだ。素人考えで申し訳ないが、作り手は映画をおしゃれにするために漫画にはいないキャラクター泉京香を映画に登場させたとしか思えない。
そう考えると、泉京香が仁左右衛門の黒い絵から攻撃を受けていないのは納得できる話だ。泉京香までもが攻撃を受ける設定にしてしまったら、映画はサスペンス一色に染まる気がする。それが悪いわけではないが、もし続編とかシリーズ化と先のことを考えるなら、どこか明るさがあるストーリーの方がいい気がする。
これから映画を視聴する人は、飯豊まりえさんの存在が「いる」と「いない」という想像を膨らませながら映画を楽しんでみてほしい。
若き日の岸辺露伴を演じた長尾謙杜の演技力
もう一つの良い点は、若き日の岸辺露伴を演じた長尾謙杜の演技力である。
正直、若き日の岸辺露伴はどうなるかなと思っていた。まさか今の高橋一生さんに演じてもらうわけにはいかないだろう。それではシラケてしまう。だからと言って、下手な役者が演じてもシラケてしまうのである。非常に難しいところであるが、長尾謙杜という役者が存在したおかげで、その問題はクリアされている。おかげで安心して映画が視聴できた。
また、当然ではあるが、高橋一生さんの岸辺露伴役が、原作のイメージを壊していないことは言うまでもない。高橋一生さんが存在しなかったら岸辺露伴シリーズの実写化はありえなかったのではなかろうか。
映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」感想:まとめ
過去の罪に殺されるとしたら
ここまで、私なりに映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」の感想を書いてみた。シナリオミスとしか思えない突っ込みどころを除けば、ジョジョファンを裏切らない作品だと思う。
ただ一点、考えさせられることがあった。過去の罪が自分を攻撃してくることについてだ。
私たちは普通に生きていて、他人からの攻撃はあるが、自分の過去の罪が自分を物理的に攻撃してくることは、ないだろう。だから、自分の罪に反省しなくても生きていける。いや、むしろ最近は、SNSなどで注目されたいがため、アクセスアップのため、罪を犯すこともあるくらいである。そして儲けている。だから罪はなくならない。
そう考えると、多少の罪を犯してもいいから儲けるような人生を送った方がいい気もする。が、そうできない自分が意気地なしな気がして情けない限りだ。ならば、黒い絵をみたぐらいで過去の罪に攻撃されない泉京香のような生き方をしたいものであるが、そんな優秀な人生を送ったところで、黒い絵がない世の中で得するのだろうか。いや、やったもん勝ちのような気がするね。
いずれにしても、たまには本作のような映画でも視聴して、自分の生き方あるべき姿を振り返るのは必要なことかもしれない。友人などと議論するのもいいだろう。話題が尽きることなく良い時間が過ごせるのではないだろうか。
興味がある人は、是非視聴していただきたい。